明日に思いを巡らす

「平成最後」と皆が言う一時代が暮れていこうとしているが、一年という時間は確かに
「あっと、言う間」とも言えるが、決して短い訳ではない。今年一年も例外ではなく、波瀾万丈?
大きな事件が世界各地に起こり話題に事欠くどころではない。時代の変遷のスピードは増すばかりで
あって、世界が瞬時に関係しあって複雑に絡み、その密度も一層濃くなっている。石器時代や縄文、
弥生といった時代は、100年単位で考えてもそう問題なく捉えられた。しかし、そうした時代に
あっても、人々は日々の狩猟や農耕に工夫を凝らし、この時節なら暖をとったり飢えを凌いだりと、
どんなにか力を注いで命をつないできたことだろう。
しかし、その変化は現代から見たら遅々としたものではあるが、自然の猛威に立ち向かい、自然の
恵みにそって暮らす懸命のものであった。時代が下り飛鳥、奈良、平安・・文化文明が高度化するに
従い、変化の振れ幅は大きくなり速さも増していく。現代人からすれば多少長閑さも感じるのだが、
私のような凡人からみれば江戸時代いくらいまでの変化のスピードは、生物としての人間の感性に
あっていたように思う。しかし、産業革命が起こり工業化が始まると、人間は持ち前の繊細な感性
によって工夫に工夫を重ねる。この取り組みは、生産性を飛躍的に増大させ、めまぐるしいほどの
発展を可能にした。加えて現代にいたっては、通信技術と情報化という新たな産業革命によって、
人間の感受性や受容の能力を超えるほどのスピードと情報量を持って、技術が迫っていると思う。
確か?2020年までには、現在 人手に頼っている仕事のほぼ半分は、機械に取って代わられるという
話も聞いている。情報通信化のスピードとその膨大な容量、日々技術革新が起こるシステム等々、この
変革に人が敵えるとは到底思えない猛威である・・人が生き場を失う恐れはないのだろうか・・
人が行うべき高度な仕事、今以上にやりがいを感じられる仕事が新たに生み出されてくるのか、
それさえも心配だが生物としての人間が本来 求めている幸せとは、いったいどのような状況なのか?
人類には、人間が目指す生きざま、生きる意味を共有できる哲学がなくてはならないように思う。
直近の夢の技術に、騒音にも対応した上で超音速(2000km/h以上)で飛行するジェット機や、
時速200km以上の 猛スピードでワシントンとニューヨーク間を30分以内で結ぶ自動運転車(地
下に専用道路を整備)等の技術を見たが、そう遠くない技術のようである。
こうした技術を際限なく追及していくと、いつしか人間のコントロール領域を超えしまい、生物
としての人間が安らげる社会から乖離してしまわないのだろうか・・
新しい年を迎えるにあたって、こんな夢のような現実離れした未来と、自分の現実的な新年も考えて
みたいと思うのである。