自然の教え

厳しい寒さが過ぎ去ると、国中が最も華やぐ花の季節がやって来る。春はいつしが過ぎ
去ろうしといるが、美しく柔らかな新緑の芽吹きへと移ろい、山の裾野に点在する山桜が
可憐ないろどりを、この時とばかりに誇示している。・・自然とは何と美しく
豊かなことか、すべてが満たされる思いで、その恵みに感謝するばかりである。

ところで、先日 誰もが知るエドバルト・ムンクの名画「叫び」について、
両耳を押さえて恐怖におののき叫びを上げる人物の背景、不安な心理を暗示して
波打つような赤みを帯びた雲のうねり。あの背景の描写について、さまざまな仮説が
唱えられてきているが、ノルウェーなど北欧の高緯度や極地で、極度の低温という特殊
な条件が重なった時に、高高度(高度20~30km)の上空で観測される雲、真珠母雲
(しんじゅぼぐも)を見る機会があり、そこから着想を得た可能性がある、と指摘されて
いるという。
そう言えば、スペインのガウディーの特徴的なサクラダファミリアの尖塔についても、
ガウディーならではの独創というよりは、日帰りで行けるほどの距離にある奇岩の景勝地
の地形(山々)からヒントを得たとの説明を、現地ガイドから聞いたことがある。
日本の伝統的な南画(南宋画)にしても、宗の時代に南宗から伝来したものが、その筆法が
受け継がれ定番となり、同じような絵柄の山水画が伝統となって描かれてきた。
しかし元は正せば、桂林などの自然の風景を描いた作品が、日本に伝わりその筆法が師匠から
弟子へと伝授され、ある意味間違って南画となって定着したにすぎない。

人間に備わる無限の可能性に何の疑問もはさみはしないが、天然・自然の懐の深さ、自然
を観察することから人間が得てきた恵みを思うと、自然に対する畏敬の念は増すばかり
である。
自然を開発することや環境の保全にはよくよく注意が必要で、神と崇めながらその恵みに
感謝する謙虚さは忘れてはならない、これも自然の教えと考えるべきであろう。